
鋳鉄は一体で作れなかった ――1844年に生まれた「鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」に感じたロマン――
こんにちは!札幌高級鋳物で修行中の佐々木です。
現場での経験とあわせて鋳物づくりについて学ぶ中で、
金属と向き合うものづくりの奥深さを日々感じています。
今回は、『鋳造工学』Vol.98 No.1(2026年)に掲載されていた
中江秀雄・峯田元治 「幕末萩藩製の日本初の鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」を読んで、
「これは面白い!!」と感じた内容をブログにしてみました。
当文献に興味を持った理由
「鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」
正直、最初にこの題名を見たときは、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
鋼管?鋳ぐるみ?装箍?
ひとつひとつの単語の意味すら、すぐには思い浮かびません。
それでも、このやたらと長い名前に、
「一体どんな構造をしているんだろう」という不思議なロマンを感じて、
つい読み進めてしまいました。
1844年に作られた砲の話だった
読み進めて分かったのは、
この文献が扱っているのは、天保15年(1844年)、
江戸時代の終わりごろに萩藩で製作された鋳鉄製の大砲だということです。
今から180年以上も前、
鋳鉄という材料の性質が十分に解き明かされていなかった時代に、
ここまで考え抜かれた構造の砲が作られていたことに、
私は強い驚きを覚えました。

図① 天保15年(1844年)に萩藩で製作された鋳鉄製砲の外観
出典:中江秀雄・峯田元治
「幕末萩藩製の日本初の鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」
『鋳造工学』Vol.98, No.1(2026年), pp.24–29
※本論文掲載図を、構造理解を目的として引用しています。
本当は、一体で作りたかったはず
砲を作るなら、
できるだけ一体で、シンプルに作りたい。
これは、今の鋳造現場でも変わらない考え方です。
しかし鋳鉄という材料には、
どうしても無視できない制約がありました。
- 薄い部分が難しい
- 冷え方によって性質が大きく変わる
- 強度に不安が残る箇所が出てくる
当時の技術では、
一体で作ることそのものが大きな課題だったのです。
薄いところほど、問題が起きやすい
鋳物は、溶けた金属を型に流し込み、冷やして固めます。
このとき、薄い部分ほど熱が一気に逃げます。
すると、
- 予定より早く固まる
- 金属の性質が変わる
- 硬くてもろくなり、割れやすくなる
といった問題が起こります。
火門や目当てのような部分は、
構造上どうしても薄くなるため、
こうしたトラブルが起きやすい場所でした。
このように、
冷えすぎることで鋳鉄が扱いにくい性質になることを、
専門的には「白銑化しやすい」と表現します。
強度への不安も残っていた
もう一つの課題は、強度です。
砲は使用時、内側から非常に大きな力を受けます。
鋳鉄は圧縮には強いものの、
引っ張られる力にはあまり強くありません。
鋳鉄だけで耐えさせる構造では、
どうしても不安が残ります。
そこで採用された「いぐるみ構造」
こうした課題に対して採られたのが、
鋼管鋳ぐるみ構造です。
これは、
- 中に強度と粘りを持つ鋼の管を置き
- その外側を鋳鉄で包み込む
という作り方です。
鋳鉄だけに頼らず、
強度が必要な役割を鋼管に任せる。
一体で作れないなら、
材料ごとに役割を分ける。
とても合理的な判断だと感じました。

図② 鋼管を芯材とし、その外側を鋳鉄で包み、さらに外周を装箍で補強した構造
出典:中江秀雄・峯田元治
「幕末萩藩製の日本初の鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」
『鋳造工学』Vol.98, No.1(2026年), pp.24–29
※本論文掲載図を、構造理解を目的として引用しています。
さらに外側から「装箍(たが)」で補強
それでもなお、強度への配慮は続きます。
砲身の外側には、
**装箍(たが)**と呼ばれる輪状の鉄が取り付けられていました。
木の樽と同じように、
外側から締めることで、
内側が開こうとする力を抑える考え方です。
中に鋼管、
外に鋳鉄、
さらにその外をたがで締める。
構造は、次第に複合的になっていきます。
それでも一体では作らなかった部分があった
ここまで工夫を重ねても、
なお一体で作るのが難しい部分がありました。
それが、火門や目当てです。
これらの部分は、
- 薄肉になりやすい
- 冷えすぎによる失敗が起きやすい
- 使用中の欠損リスクが高い
鋳鉄で無理をするより、
別の材料に任せたほうが安全だと判断されたと考えられます。

図3 火門・肉薄部の拡大写真(文献掲載写真)
出典:中江秀雄・峯田元治
「幕末萩藩製の日本初の鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」
『鋳造工学』Vol.98, No.1(2026年), pp.24–29
※本論文掲載図を、構造および肉薄部の特徴理解を目的として引用しています。
青銅部品と、ろう付けという選択
そこで用いられたのが、青銅製の部品です。
青銅は、
- 割れにくい
- 薄くても扱いやすい
- 加工性が良い
といった特性を持ち、
小さくて重要な部位に向いた材料です。
そして、その青銅部品を鋳鉄に取り付けるために使われたのが、
ろう付けという技術でした。
ろう付けは、
金属そのものを溶かさず、
溶けた別の金属をすき間に流し込んで接合する方法です。
鋳鉄を傷めにくく、
異なる金属同士でも確実につなぐことができます。
気づけば、非常に複雑な構造になっていた
こうして整理してみると、
- 一体で作るのが難しかった
- 白銑化しやすい箇所があった
- 強度に不安があった
それぞれの課題に対して、
- いぐるみ構造を採用し
- 装箍で補強し
- ろう付けで部品を取り付ける
という選択が積み重ねられた結果、
非常に複雑な構造の砲が生まれました。
おわりに
「鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」という長い名前は、
そのまま、鋳鉄という材料の限界に真正面から向き合った技術の積み重ねを表していました。
1844年という時代に、ここまで合理的な判断が一つひとつ積み重ねられていたことに、
当時の職人たちの、鋳造に対する強い熱量を感じずにはいられません。
創業以来77年間、私たちは鋳造に真正面から向き合い、
先人たちが積み重ねてきた技術を、今の現場へと受け継いできました。
札幌高級鋳物では、お客様からご依頼いただいた案件に対して、
「鋳物として製造が可能かどうかの判断」や、
「鋳物としてより製造可能な形状の提案」を行っています。
「これは鋳物にできるのか?」
そんな疑問がありましたら、ぜひ一度、私たちにご相談ください。
図面と大まかな材質、予定製造数が分かるだけでも構いません。
私たちは、そこから製造可否と、鋳物として製造する方法を一緒に考えます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
中江秀雄・峯田元治
「幕末萩藩製の日本初の鋼管鋳ぐるみ鋳鉄装箍砲」
『鋳造工学』Vol.98, No.1, pp.24–29, 2026