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【鋳物の歴史】No2日本の鋳物~神物から産業の要へ~

こんにちは!札幌高級鋳物で修行中の佐々木です。
私は現在、鋳物や金属材料について日々学びながら、現場と文献の両方からその奥深さを感じているところです。
今回も、皆さんと一緒に鋳物についての学びを深めていけたらと思い、「鋳物の歴史」をテーマに3部構成のブログをお届けしています。

第1弾では世界の鋳物の始まりと発展を取り上げましたが、第2弾となる今回は、私たちの国・日本における鋳物の歴史に迫っていきます。
古代の祭器から仏像、武具、さらには茶釜や鉄砲まで――日本の鋳物文化は技術と精神性の両面から発展してきたことが文献から読み取れ、とても感動しました。
私なりに整理して、わかりやすくご紹介していきますので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!

鋳物とは何か

鋳物(いもの)とは、金属を高温で溶かして型に流し込み、冷やし固めて形を作る技術です。
日本における鋳物の歴史は、弥生時代の始まりとともに伝来し、独自の発展を遂げてきました。
その後、各時代の文化や技術と融合し、日本独自の美しい鋳物文化が形成されていきます。

弥生時代の鋳物文化

画像①弥生ミュージアム フォトライブラリー 銅剣フォトライブラリー | 弥生ミュージアム

弥生時代は、稲作とともに金属器文化が花開いた時代です。
この時代には青銅器と鉄器が同時に伝来し、主に祭器や武器が鋳造されました。
銅鐸や銅剣などがその代表例で、これらは宗教儀礼や権力の象徴として使われました。

古墳時代とたたら吹き製鉄

古墳時代には、朝鮮半島から伝わったたたら吹き製鉄が日本に広まりました。
この技術によって、武具や農具など多様な鋳物製品が作られるようになりました。
また、この時期には大和朝廷が成立し、権力の象徴として鉄の甲冑や武器が副葬品として多く用いられるようになりました。

飛鳥・奈良時代の鋳造技術の発展

画像②奈良県観光公式サイトなら旅ネット 【奈良ファン倶楽部会員限定 特別企画】古代豪族・蘇我馬子創建の飛鳥寺 ~飛鳥の魅力~ (飛鳥寺) 【奈良ファン倶楽部会員限定 特別企画】古代豪族・蘇我馬子創建の飛鳥寺 ~飛鳥の魅力~|飛鳥寺|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|明日香村|山の辺・飛鳥・橿原・宇陀エリア|イベント・体験

画像③東大寺公式サイト 大仏殿廬舎那仏 大仏殿 – 東大寺

飛鳥時代には、仏教伝来とともに仏像鋳造が盛んになりました。
日本最古の青銅仏である飛鳥大仏や、東大寺の奈良の大仏がこの時代に鋳造されました。
奈良の大仏は、像高14.98メートル、重量約250トン、平均肉厚55ミリを誇る大規模な作品であり、当時の最高の鋳造技術が結集されたと言われています。

鎌倉時代以降の鋳造技術

鎌倉時代には、武家文化の発展とともに鋳物の需要も拡大しました。
特に鎌倉大仏は、この時代を代表する鋳造技術の結晶です。
この大仏は1252年に鋳造され、像高11.44メートル、重量約120トン、平均肉厚50〜60ミリ。
木彫による原型から鋳型を作り、接合部には「いがらくり法」という強固な技術が採用されました。

江戸時代と鋳物産業の発展

江戸時代には、たたら吹き製鉄がさらに発展し、玉鋼と呼ばれる高品質な鉄が生産され、日本刀や茶の湯釜などの鋳物製品に利用されました。
また、江戸時代後期には鋳物の用途が飛躍的に拡大し、日用品から美術品に至るまで様々な製品が生み出されていきました。

近代化と西洋技術の導入

画像④伊豆の国市 韮山反射炉CG集 伊豆の国市/韮山反射炉CG集

幕末には黒船来航の衝撃を受け、西洋の近代的な鋳造技術が導入されました。
1857年には韮山反射炉が完成し、大砲の鋳造が行われるようになります。
明治時代には鉄道や造船、機械産業の発展とともに、鋳物産業も本格的に近代化され、キュポラ(溶解炉)の導入などで鋳造技術は大きく飛躍しました。

おわりに

日本の鋳物は、単なる技術ではなく、文化を形づくる芸術でもあります。
奈良の大仏や鎌倉大仏、茶の湯釜、日本刀に至るまで、その技術は日本人の美意識とともに進化してきました。
札幌高級鋳物は、こうした歴史ある鋳物技術を受け継ぎ、未来に向けて挑戦し続けます。

次回は、いよいよ第3弾、設立76年の「札幌高級鋳物の歴史」についてご紹介します。ぜひご期待ください!

出典

(中江 2013)中江秀雄『鉄鋳物の歴史』J.JFS Vol. 85, No. 5
(五十川 1992)五十川伸矢『古代・中世の鋳鉄鋳物』
(石野 1995)石野亨『近代科学導入までの鋳物の歴史と技術』
(一般社団法人日本鋳造協会 不詳)一般社団法人日本鋳造協会『日本の鋳造と溶解の歴史』

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