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【鋳物の歴史】No1世界の鋳物 ~鋳物の歴史をたどる旅~

こんにちは!札幌高級鋳物で修行中の佐々木です。
私は現在、現場での実務経験と並行して、鋳物に関する歴史や材料、技術について文献を通じて学びを深めています。

今回はその学びの一環として、「鋳物の歴史」について3回に分けてご紹介していきたいと思います。
第1弾となる今回は、人類と鋳物の出会いから産業革命までの“世界の鋳物の歴史”をテーマに、古代文明や産業の発展とともに歩んできた鋳造技術の軌跡をたどります。

普段は製品や素材に注目しがちですが、その背景にある歴史を知ることで、鋳物という技術の価値をより深く理解できると感じました。
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!

鋳物とは何か

鋳物(いもの)とは、金属を高温で溶かして型に流し込み、冷やし固めて形を作る加工技術です。
自動車部品や調理器具、インテリア製品など、現代社会のあらゆる場面で活用されています。
その歴史は非常に古く、人類が初めて鋳物を作ったのは今から5000年前と言われています。

この技術は単なる道具の製造にとどまらず、社会の発展や文化の形成に大きく貢献してきました。
まさに、鋳物は「文明を形づくる技術」と言えるでしょう。

メソポタミア文明と鋳物のはじまり(紀元前4000年頃)

画像①引用:シカゴ大学博物館Highlights from the Collection: Mesopotamia | Institute for the Study of Ancient Cultures

鋳造の歴史は、紀元前4000年頃のメソポタミア文明にまでさかのぼります。
この時代、人々は青銅を溶かして型に流し込み、装飾品や道具を作り出していました。
流動性と冷却による固化現象を巧みに利用し、美しく機能的な製品を生み出していたのです。

古代エジプトと「ふいご」の発明


画像②引用:『日本の鋳造と溶解の歴史』 一般社団法人日本鋳造協会(発行年不詳)

古代エジプトでは、鋳造技術の発展に大きく寄与した「ふいご」が発明されました。
足踏み式のふいごで風を送りながらるつぼ内の金属を溶解し、大型の扉や道具の鋳造に活用されていたようです。
高温溶解が可能になったことで、青銅器文化はさらに隆盛を極めていきました。

中国の青銅器文化と鉄鋳造への転換

画像③引用:東京国立博物館https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=7582

中国では、非常に古い段階から鋳造文化が発展し、紀元前1700年頃の殷・周王朝には精密な青銅鋳造技術が確立されていました。
青銅器の薄さは2mm程度のものもあり、技術の高さがうかがえます。
また、紀元前600年頃には鉄器が普及し、中国は鉄鋳物の実用化と大量生産体制を確立した最初の地域とされています。

ヨーロッパの発展と産業革命

ヨーロッパでは、宗教的儀式のための鋳造が中世に盛んとなり、鐘や祭具が製作されていました。
そして18世紀の産業革命によって、鋳造技術は飛躍的に発展します。
1735年にはイギリスでコークス高炉が完成し、鉄の大量生産が可能に。これにより、鋳物は日用品から産業機械の部品まで、用途を拡大していきました。

鋳物が世界で受け入れられた理由

古代から現代に至るまで、鋳物が重宝されてきたのには理由があります。

  • 一体成形が可能で複雑な形状に対応

  • 高い耐久性があり、長期間の使用が可能

  • 型を使った大量生産が可能

  • 使用済み金属を再利用できる

こうした特徴により、鋳物は宗教的儀式から軍事、建築、工業、インテリアまで多様な分野で使われ続けています。

鋳物は「文明のかたち」をつくる技術

王権を象徴する神器や仏像から、産業革命以降の機械部品に至るまで、鋳物は常に人類の発展の根幹を支えてきました。
そしてその技術は、今なお進化し続けています。

私たち札幌高級鋳物も、こうした「文明を支える鋳造技術」を受け継ぎ、次の世代へとつなげていく使命を感じています。
次回の第2弾では、日本の鋳物文化と技術の歩みを、奈良の大仏やたたら吹き製鉄などを通じてご紹介します。
どうぞお楽しみに!

出典一覧

  • 中江秀雄『鉄鋳物の歴史』(2013年)

  • 五十川伸矢『古代・中世の鋳鉄鋳物』(1992年)

  • 石野亨『近代科学導入までの鋳物の歴史と技術』(1995年)

  • 一般社団法人日本鋳造協会『日本の鋳造と溶解の歴史』(発行年不詳)

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