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[ブログ] 小椋ってどんな人なの?(入社当初編)

自己紹介(入社当初編)

私は1986年に入社し、勤続36年目を迎える54歳です。

弊社は今でこそ特殊鋼専門メーカーですが、入社当時は鋳鉄6割、普通鋳鋼3割、
ステンレス鋼や耐熱鋼などの特殊鋼は1割程度という鋳鉄屋から特殊鋼への業態移行期間中の入社でした。
(本当の苦労、困難、葛藤がこの後待ち構えていることをまだ知る由もありませんでした)

入社後の配属は水ガラス造型1年、生型造型1年、自硬性造型13年の計15年の造型工員を経て、
現在は製造部長として工場全体の管理業務に従事しております。

高校卒業後、田舎から札幌に出てきた小椋少年は遊びに夢中で良い仕事が出来るはずもなく、
頻繁に遅刻や、酷い時には金枠の陰で居眠りをしてしまう程のいい加減な社員でした。(笑)
(写真は当時の愛車マツダ コスモで、燃費2.4km/lと最悪でした)

「後にも先にもお前みたいな社員は初めてだ」と当時の奥田 晃社長に言われてしまい、
今思うと本当に恥ずかしいことですが沢山叱られたこと、
沢山遊んだことがのちの原動力になったと解釈しています。いくら叱られても小椋少年の心に響くことなく、
上司には頭の痛い社員だったと思いますが、そのような状態でもものづくりそのものは本当に好きでした。
当時はまだ職人さんが数名在籍していたため、その仕事ぶりに憧れるほど本当にかっこよく、
自分もそうなりたいと強く感じたことを良く覚えています。

職人あるあるかと思いますが、当時の札幌高級鋳物の人材育成方針は「仕事は見て覚えろ」だったためOJTの概念は無く、
とにかく職人さんの気に入るやり方を見て盗みました。また、職人ごとに作業の特徴や異なる仕事のやり方があったため、
「この人と作業する時にはこうすれば気に入る」という技を習得し、複数の職人さんに可愛がられました。
この時期に「空気を読む」「先を読む」「相手の考えていることを読む」ことを学んだ気がします。

このような経験を経て、20歳を超えた頃仕事を覚えたい一心で夜遊びが無くなり、仕事に集中する時期に入ります。

(次回、「進化編」へ続く)

札幌高級鋳物株式会社
取締役 製造部長

小椋博樹

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