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[ブログ] 小椋ってどんな人なの?(迷走編)

自己紹介(迷走編)

一向に不良が減らない中、どうにか状況を打開するため、現場をサポートしたい一心で知識習得を始めます。

感覚だけで仕事をしてきた私にとっては少々大変でしたが、「なぜ」にフォーカスし、理論的な部分を理解することで、今まで自分が本当に無知だったことに気づきました。現場経験のおかげか、専門誌の内容の理解度が増し、自分の知識が増えていくことに快感を覚え、ハマっていきました。一般的にこれは決して悪いことではなく、良い事であるはずなのですが、私の場合、悪い方向に向かってしまいました。

当時は不良が発生する度に上司から詰め寄られていたので、現場のサポートよりも自分を守ることに必死だったのだと思います。現場作業者から方案の相談があると、理論的な回答を求められていると錯覚し正しい方案を何時間もかけて調べ、結果的に過剰方案を提案するようになっていました。

そのような状況が続き、過剰方案のため製品歩留りが悪化、製造原価増加、そして不良率は横ばいと、何をやっても良い結果を得ることができなくなり、精神的に落ち込んだ日々が続いていました。

そんなある日、同僚から「どうしてそうなった?お前のいいところが無くなっている」と指摘されハッとしました。現場で培った感性を全く使えなくなっていたことに気づきました。

たとえば、押湯の決定には大別して、実績に基づく経験方式によるものと、凝固理論(モジュラス)によるものがありますが、当時は後者の方法のみが正しいと思い込んでいました。しかし、考え方は正しいのですが、複雑形状の製品になると、どの部分をどう計算するかによって如何様にもなってしまうという落とし穴があるのです。

つまり、理論的な知識はもちろん重要ですが経験を積み重ねた「感性」との融合でなければ良い方案が組めないということです。(進化編で記述した〈感性と知識を掛け合わせる〉という意味がここでようやく理解しました)

こうしてまた少しずつ「現場の感どころ」を思い出しながらイメージを膨らませ方案することで徐々に効果が表れ始めました。同じように現場の方案者にもイメージ通りに方案させるようにして、押湯の決定に不安を感じた時にモジュラス計算するという“感性と知識の融合”に成功し私と現場方案者が成長した時期だったと思います。

このように迷走しながら数年を要し、ようやく不良率が下がり安定してきましたが結果的に現場をサポートするつもりが現場のみんなに助けられて実現できたと思います。

リーマンショックも何とか乗り越え、業績が安定してきた頃に社長交代含め、上層部の入れ替わりもあり、

なんと製造部長昇格の話が出てきました。これには「流石に無理です」と断り続けましたが4度目にしてやむなく2012年に製造部長となりました。

次回は〈部長就任当初編〉、続いて〈今後の展望編〉で自己紹介の最終回にさせていだだきます。

札幌高級鋳物株式会社
取締役 工場長

小椋博樹

*{写真}は製造部・製造管理部リーダーと記念撮影(2022年6月)

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